腹痛発作、薄墨色の尿…秀吉のあとを追うように逝った利家の死因とは
- 作成:2021/12/15
前田利家は加賀藩の祖。ゲームや漫画などでもよく目にする武将です。大河ドラマの主役にもなりました。信長に小姓として仕えはじめて出世、秀吉の親友であり豊臣政権を支えた人物です。若い頃の血気盛んな話や、愛妻家で正室との間に子どもを8人もうけたなどなど、興味深いエピソードも多く根強い人気の武将です。今回はそんな前田利家について歴女医、馬渕まり先生にお話ししていただきました。
この記事の目安時間は3分です
織田信長に仕えた高身長の傾奇者
前田利家は尾張の土豪の家に生まれ、14歳頃から信長に小姓として仕えました。若い頃は「傾奇者(かぶきもの・風変わりな人の意)」であり、戦場でも派手な活躍をしていました。
まず身長が6尺(約180cm)と当時としてはかなりの高長身。そのうえ持参の槍は長さが6m30cmで、目立つように朱塗りにしていました。そんな長い槍で活躍できるの? とお思いかもしれませんが初陣から敵を討ち取り信長に賞賛されています。その後の戦でも槍で武功を挙げたため「槍の又左(またざ」の異名で讃えられました。
さて、順調に出世していた利家でしたが、信長の可愛がっていた茶坊主といさかいを起こし斬り殺してしまう事件を起こします。本来であれば厳罰のところを周りの取りなしで出仕停止処分に減罰され、浪人となりました。出仕停止処分中に勝手に参戦して首級(しゅきゅう・討ち取った首)をあげ、桶狭間では許されませんでしたが斎藤家との戦いで、無断参戦ながら手柄をたて、信長の元に戻ることとなりました。
利家はおなかが弱かった!?
ここから病気の話に入ります。江戸初期に、利家に近侍していた人物が記した「利家夜話」に食あたりをした記述が出てきます。鶴の汁で虫(腹痛)を起こした利家が、昔の話をする形式です。
信長が安土にいた頃宴会を開き、家臣の日頃の労をねぎらいました。利家は若い頃の稲生合戦での手柄を褒められて、給仕をまかされていた近習(きんじゅ う・主君の側に仕える者)たちも「利家にあやかりたい」と鶴の汁物を勧め、得意になった利家は断りきれないのもあってひたすら食べ、鶴汁を飲み過ぎ、その後、腹痛を起こしたという話です。以降も利家はたびたび腹痛に悩まされます。腹痛が出るとかなりひどかったようで、大事な行事を欠席した話も残っています。
利家は信長の下で柴田勝家の与力(配下の武将)となり、天正9年(1581年)には能登一国を与えられ23万石の大名となります。
しかし、翌年に本能寺の変…。勝家の与力であった利家は、信長の後継者争いで勝家側につくことになりましたが、実は利家、若い頃から秀吉と仲が良く、子どもがなかった秀吉夫婦に四女の豪を養子に出すほどでした。利家は悩んだ挙句、賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いの途中で豊臣側に鞍替えし、結果秀吉が信長の後継者レースを制することになりました。
そのあとは秀吉の家臣として功績をあげ、文禄4年(1595年)には83万石まで石高が増えました。ちなみに加賀100万石は息子の代になってからのことです。
利家の死因は暗殺? それとも病死?
慶長3年(1598年)醍醐の花見のあと、利家は子どもに家督を譲り、隠居すると湯治のために草津に出かけました。実はこの時期、秀吉も急速に体調を崩しており、豊臣政権の重鎮であった利家は、五大老に任ぜられるなど実質は隠居を許されない状態でした。秀吉と利家が近い時期に亡くなったことから暗殺説もあるようですが、たぶん違います。
前項の利家夜話によると、草津に行く前頃に針治療を受けたところ「薄墨色の小便」が出て虫が下った。これで治ると喜んだが、草津から帰っても薄墨色の小便は続いていたとあります。
同年8月に秀吉が死去したあと、利家は病体に鞭打って、秀吉の跡を継いだ秀頼を補佐しますが翌年の正月は腹痛でどうにかこうにかの参加、3月には自ら死期を悟るような状態でした。
ここまでを軽くまとめると、安土の頃から20年間腹痛発作あり、体調が本格的に悪くなったのは死の1年前です。そして薄墨色の尿が持続。
ここで補足情報ですが。亡くなる2カ月前はうどんを食べる元気があり、死の2日前も夫人としっかり会話をしていた模様です。
まず腹痛発作ですが、鶴の汁を飲むと起こったようで胆石かもしれません。脂質をたくさん摂ると、胆のうや胆管が収縮するため胆石発作を誘発する場合があります。鶴肉にどのくらい脂があるか調べられませんでしたが、江戸時代、ナベヅルは大変美味で貴重品だったようです。死の2日前にもまつとしっかりと会話をしていたようなので、脳卒中など神経系の病気ではなかったと考えられます。
薄墨色の尿はメラニン尿かビリルビン尿が疑われます。メラニン尿は肝硬変や、内臓系のがんで認められ、ビリルビン尿は胆汁うっ滞が起こると見られます。2カ月前の食欲から消化管そのものの悪性腫瘍よりは、胆管の閉塞を起こす胆嚢がんや胆管がん、膵臓がんなどではなかったのでしょうか。
秀吉の死からわずか10カ月後の慶長4年(1599年)閏3月3日(現4月27日)、大阪の自邸にて没しました。もしも、あと数年生きて家康を牽制することができていれば、豊臣政権は長らえたかもしれません。
利家に辞世はありませんが、死の2日前に夫人が「経帷子(きょうかたびら)を作らずじまいだったので、私のものをお着せしましょう」と言ったことに対して「自分の経帷子は今際(いまわ)の際(きわ)に見るから、それはお前があとからゆるゆる被って来れば良い」と笑った話が残っています。
あとからゆるゆる来いと言われた夫人は、家康から前田家に謀反の容疑かがけられた際、14年間人質として江戸に行き家を護り、夫の死から17年後に金沢城で亡くなりました。
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