41歳でがんになった女性医師…目に涙を溜めて見つめる子どもを「抱きしめるのが精一杯でした」

  • 作成:2021/11/14

もしも自分ががんになった時、真っ先に気になることの1つが「家族になんて言おう?」ではないでしょうか。闘病生活で家族に迷惑をかけないか、万が一の時、家族はどうなるのか…そんな思いに包まれるかもしれません。医師の田所園子先生は、41歳で子宮がんが見つかりました。当時、3人のこどもはまだ小学生。がんと診断された時の家族の様子を、振り返っていただきました。

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41歳でがんになった女性医師…目に涙を溜めて見つめる子どもを「抱きしめるのが精一杯でした」

医師の夫も「家族」の立場になって悩んだ

医師としてがんの患者さんに接していると、多くは「頭が真っ白になり、先生が話した内容を覚えていない」「説明を聞いたけれど、よくわからなかった」と言います。家族は「第二の患者」と言われるように、患者さんと同じように説明を聞き、悩み、選択していく中で、患者さんと同じように不安や苦痛を感じます。

私の場合は夫も医師で、がんの診断や告知、治療をする側の立場です。でも、私に子宮頸がんが見つかり、診察に同行するときには「家族」でした。夫は落ち着いて話を聞くことはできましたが、動揺したり衝撃を受けて苦しんだり悲しんだりするのは同じでした。
私は自分ばかりが辛い、苦しいと思っていたので夫をいたわる余裕はなく、優しい言葉さえもかけてあげられませんでした。治療が終わって徐々に体調が戻り、日常生活が送れるようになってからそのことに気が付きました。

当時、子ども達は小学6年生、4年生、2年生だったので、すぐにはがんのことを話しませんでした。自分の病気が原因で小さな子どもたちの生活を変えたくなかったのです。
それに、がんと診断されてからも幸い自覚症状は何もなく、体調も問題なかったので、いつも通りに仕事や家事をすることができました。一緒に住んでいる家族は、私ががんになった後も変わらない生活をしてくれました。いつものように通勤・通学し、いつものように食事をして、いつものように眠る。それは私が一番望んでいたことです。家族と過ごす時にはなるべく病気の話をしないようにしました。

家族の思いはありがたいが、平静を装う自分が苦しかった

精神的な不安や苦しさは、夫や実家の両親に話すことで徐々に軽くなっていきました。
両親は遠くから応援してくれました。身体によい食べ物や飲み物、体験記の本などを送ってくれました。実家の両親経由で知った兄は大慌てで電話してきて「大丈夫なのか? 話せるのだな! 心配したぞ」と、私が今日明日にでも死んでしまう状態だと思ったようでした。「がん」という病はこんなにも人を恐怖に陥れるのだと思いました。

家族の思いは嬉しくて、ありがたくて、心強かったのですが、かえって平静を装う自分もいて、少し辛かったのも事実です。母に「お父さんが泣いていたよ」と聞かされた時には、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。自分が病気になったせいで家族を悲しませていると思うとやり切れない気持ちになりました。家族一人ひとりがそれぞれの形で私を気遣い、できる限りのことをしてくれました。そして私は「この人たちのために生きたい」と強く感じました。これが治療に向き合う勇気となっていきました。

患者自身と家族の治療方針が異なる時…

治療方法に悩んだ時に私の背中を押してくれた夫や父には、今も感謝しています。子宮頸がんの患者会に話を聞きにいった時、セカンドオピニオンを受けることを強く勧められ、私は悩んでいました。小学生の子ども達を残して県外の病院を受診することはできないと思ったからです。

でも、夫も父も「園子の思うようにしたらいい。県外に行ってみたければ協力するし、今の病院で治療を受けるならそれでいいと思う。子ども達と離れたくない気持ちはよくわかるよ」と言ってくれました。

仕事で患者さんやご家族とお話していると、患者さんの思いとご家族の思いが異なることがあります。治療をする・しない、どこで治療を受けるか、どの治療を受けるかなど、たくさんの選択の場面で意見が分かれてしまうのです。
患者さんのことを思っているからこそ、いろんな意見がでるのですが、対立してしまっては元も子もなくなってしまいます。私の場合は、自分の意見や気持ちを尊重してもらえたのでスムーズに治療を受けることができました。がんになり何かをあきらめなければならない状況になった時、自分の気持ちが置き去りにされたら辛いと思います。

今日を大切にしたくて、家族に笑顔で手を振った

手術や入院の日程が決まると、ついに子どもたちに話さなければいけない時がやってきました。6年生の長女は中学受験を控えていましたが、受験が終わるまで待てないこと、命に関わることなど、3人それぞれに合わせた話し方をしました。
ポーカーフェースのままの長女、「大丈夫だよね」と確認する長男、目に涙をいっぱいためて私を見つめる次女。小さな子どもたちの不安がわかるだけに辛い時間でしたが、同時にみんなの愛情を感じて心が癒された瞬間でもありました。

3人を抱きしめるのが精一杯で、何も言うことはできませんでした。その後、私がいない所で夫が子ども達の気持ちを聞き、不安が減るようにいろんな話をしてくれたそうです。私が病気になったことで、それまでにはない家族の絆ができたように感じました。

入院する日の朝、いつも通りに子どもたちを学校に送り出しました。内心は、術中に何かあったらどうしよう、手術でがんを取り切れなかったらどうしよう、術後の追加治療で退院できなかったらどうしよう……と、たくさんの不安がありました。最後になるかもしれない今日を大切にしたくて、笑顔で手を振りました。
長女は泣きながら笑顔を作り、小走りに出かけていきました。振り返らずに手をあげたまま歩く長男は泣いていましたし、末っ子は泣いて抱きついてきました。

がんになって12年、一日たりとも病気を忘れることはない

幸いなことに、術後の経過は順調で、予定通り2週間で退院することができました。「いつも通り」を守ってくれた家族には今も感謝しています。

がんになって12年になりますが、一日たりとも自分ががんだということを忘れることのない生活です。それが悲しいのは事実ですが、もちろん生きている喜びも感じています。卒業式に出たい、入学式に出たい、成人式は……と子どもたちの成長を願いながら一日一日を積み重ねてきました。小学生だった子ども達も今では23歳、21歳、18歳になりました。今もその存在が私を支えてくれています。

田所園子(たどころ・そのこ)

医療法人生寿会 かわな病院/内科、緩和ケア、麻酔科

1995年高知医科大学医学部卒業。 同大学医学部麻酔科蘇生科入局。41歳の時に子宮頸がんが見つかり、手術を受ける。しばらくはがんであることを受け止めきれず、周囲に言えない日々を過ごした。現在は、がんの経験を生かして緩和ケアに携わり、患者によりそう医療を提供している。

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